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2011年4月24日 (日)

父の故郷

原発事故の収束見通しが立たないながらも、関東は大分日常に戻ってきた感じがします。一方で原発周辺の地域は避難がまだまだ続き、人々の生活に大きな影を落としています。

私の父の故郷も原発30キロ圏内にあるため、村全体が計画避難の対象になってしまいました。とは言え村長の判断でもう事故直後の3月14日に全村避難を決め、15日には病気などで動けない人以外は皆村を出ているそうです。

私の叔父、叔母、いとこたちも住み慣れた村を離れ、県内の親戚の所へ身を寄せているそうです。ほとんど村を出たことない人達なので、慣れない生活が早く終わって欲しいと願っています。

父も自分が生まれ育った場所がこのような状況になって少なからずショックを受けています。色々あって故郷の親戚と揉めていたし、高齢になったので最近はあまり足を運ばなくなっていました。しかし故郷がこのようなことになって簡単に帰れなくなった現状に、言い知れぬ寂しさを感じているようです。

私も自分のルーツの半分に当たる場所が原発による放射能汚染の話題で毎日ニュースで報道されているのを見ると、何とも残念な気持ちになっています。子どもの頃は毎年のように訪れ、春の桜や若葉、夏の蛍に加え、都会では味わえない空の色や満天の星空に圧倒されたものです。納屋には牛が飼われ、間近に見る牛の大きさに驚いたものでした。

大きくなるにつれて田舎ならではの複雑な人間関係に悩む両親の姿を見るようになり、あそこの生活もいいことばかりではない、と分かるようになったことに加えて私も学校が忙しくなって次第に足が遠のくようになりました。次第に父実家に対していいイメージが持てなくなったのも事実です。

村には村の社会があり、一旦外に出るとなかなか入れない強いつながりがあります。村から一度も出たことがない人も多く、父が意見を言っても実家の人たちには聞き入れてもらえず辛い思いをしたようです。母も嫁という立場のため、悔しい思いをしているのを垣間見ることがありました。

父の末弟である叔父がガンで闘病した時に村の出身の人達が見舞いに来てくれました。村の人はみんな遠い親戚のため、名前を聞くとずっと東京住まいの私でも知っている人につながります。つまりいいことも悪いことも村ではあっという間に広がってしまいます。とにかく親戚づきあいも都会では想像がつかないほど密度が濃いのです。

その叔父が死んだ際も父がかなり悩んだ末、叔父の希望通り墓をこちらに設けました。父にとってはそれがせめてもの救いになっているようです。それほど村の人にとってはお墓は特別な意味を持ちます。

また、今回の事故で都会の犠牲になっている田舎の生活という面も浮き彫りになり、両方の事情を知っている私としては複雑な心境ではあります。

土地に根ざした生活をしてきた人にとっては避難は生活のすべてを奪われることを意味します。なぜそんなに危険な場所にいたがるのか都会の人には不思議に感じるかもしれません。

しかし、電車での移動も、引越しもほとんどしたことがない親戚を知っているだけに、この状況は容易に想像がつきます。離れれば離れるほど故郷の情報が減り、知っている人もいなくなり、自分のアイデンティティを失ってしまうのです。

ただ、田舎ならではの文化のままでは恐らく若い人は定着しないでしょう。村の人達も外の世界の人を受け入れるよう、変わっていく必要はあるとも感じています。そのためには国や自治体の制度を変えていく、若い人の意見が反映されやすいシステムを作っていくことが不可欠になると思います。

今福島は余裕がない状態です。できたら他の地域の人は放射能について正しい知識を得た上で福島の人を温かく迎えて欲しいです。そしていつか戻れるよう長い支援をしていけるよう、私もできることをしていこうと考えています。

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